河内棉の綿と種ができました。

2016年08月27日 | お知らせ

河内棉は、戦国時代後期の頃から八尾周辺で盛んに栽培され、大阪を綿産業の一大生産地へと導きました。しかし、明治になり、外国から安い「わた」が輸入されるようになると、綿産業は盛んになるものの栽培農家は減り、今ではほとんど栽培されなくなりました。

河内棉の衰退を少しでも補うプロジェクトが立ち上がり、種を戴きました。しかし、田んぼも畑も持たない私には為すすべもなく、今まで放置していましたが、今年(2016年)4月、植木鉢に種を蒔いてみると、少し控えめなうす黄色の花が咲き、実がなり、今日(2016年8月27日)種と綿毛ができました。これで衰退を防げるものではありませんし、他の人に協力をお願いするほど種も取れていませんが、少しずつ増やせればと思っています。